江戸時代の「打ちこわし」は本当に単なる暴動だったのか? 定説に隠された社会構造と民衆の論理
江戸時代の「打ちこわし」という現象
江戸時代、特に飢饉や物価高騰の際に頻発した「打ちこわし」は、一般的には困窮した民衆が、米屋や質屋といった富裕層の家を襲撃し、財産を破壊・略奪する暴動として捉えられがちです。確かに、その表面的な行為は破壊や略奪を伴うものでしたが、この現象を単なる無秩序な暴力行為と見なすだけでは、当時の社会が抱えていた構造的な問題や、それに立ち向かおうとした民衆の複雑な論理を見落としてしまいます。本稿では、「打ちこわし」を単なる暴動とする定説に疑問を投げかけ、その背後にある歴史的背景、当時の社会構造、そして民衆がどのような意識や論理に基づいて行動したのかを、多角的な視点から掘り下げて考察します。
打ちこわしの多様性と背景にある構造的要因
まず、打ちこわしと一口に言っても、その形態は多様でした。都市部での米屋襲撃が典型例ですが、農村部では村役人や豪農の家が標的となることもありました。参加者も、都市の無宿者や貧民だけでなく、職人、小商い、あるいは農村の一般百姓が加わることも少なくありませんでした。これらの多様性は、打ちこわしが単一の原因や動機で起こるのではなく、当時の社会が抱えていた様々な構造的要因が複雑に絡み合って発生した現象であることを示唆しています。
その構造的要因として無視できないのが、経済の変化です。江戸時代中期以降、商業経済が浸透し、農村にも商品経済が及びました。これにより、土地を持たない小作人や貧しい農民が増加し、都市には流入した人々が不安定な生活を送るようになりました。また、飢饉や自然災害が発生すると、米などの生活必需品の価格が急騰しますが、当時の流通システムや商業資本のあり方によっては、特定の商人や藩が米を囲い込むといった不正や投機的な行為が行われることもありました。こうした経済的な格差の拡大や、公正さを欠く経済活動に対する民衆の不満が、打ちこわしの根底にあったと考えられます。
さらに、当時の政治構造も打ちこわしの一因となり得ました。幕府や藩は建前上、民衆の生活を安定させる責任を負っていましたが、実際には財政難や役人の不正腐敗により、十分な対策が取られないことが少なくありませんでした。飢饉時においても、適切な救済措置が遅れたり、あるいは米価の安定化に失敗したりすることで、民衆の怒りは支配層や彼らと結びついた富裕層へと向けられました。
「義民」思想と民衆の論理
打ちこわしを単なる破壊活動と区別する重要な要素は、そこにしばしば見られる民衆独自の「正義」や「論理」の存在です。打ちこわしの参加者は、自分たちの行為を単なる略奪ではなく、「世直し」や「義挙」と見なす傾向がありました。彼らは、困窮する自分たちを救済せず、不正に富を蓄える商人や役人は、共同体の秩序や倫理に反する存在であると考えました。彼らを罰し、囲い込まれた米を貧しい人々に分け与える行為は、「あるべき社会の状態」を取り戻すための正当な行為だと捉えられていたのです。
この背景には、中世以来の「義民」思想や、村落・都市における共同体の論理がありました。村では惣百姓が一丸となって不当な支配に抵抗する伝統があり、都市でも町共同体における互助や公正さの観念が存在しました。打ちこわしは、こうした伝統的な共同体の論理が、近世後期の経済的・社会的な歪みに対して発現した一つの形であると解釈できます。参加者は多くの場合、匿名性を保つために顔を隠したり、組織的な統制のもとで行動したりしました。これは、単なる暴徒が無差別に暴れ回るというよりは、何らかの計画性や共通の目的意識を持って行動していた可能性を示唆しています。
また、打ちこわしは支配層に対する無言の抗議や要求の表明でもありました。直接的な請願や一揆が困難な状況下で、富裕層の財産を破壊することで、自分たちの窮状や不満を社会全体、特に支配層に知らしめようとした側面があったと考えられます。これは、民衆が持っていた、社会の安定を乱す者には制裁が加えられるべきであるという規範意識の現れとも言えます。
打ちこわしが示唆するもの
江戸時代の打ちこわしは、単なる飢餓や貧困が引き起こした無秩序な暴動ではありませんでした。それは、近世後期の経済的変動によって生じた格差の拡大、支配層の無策や不正、そしてそれらに対する民衆の不満が、伝統的な共同体意識や「義民」思想といった民衆独自の論理と結びついて発現した、多層的な社会現象でした。
歴史の史料を読み解く際には、表面的な出来事だけでなく、その背後にある社会構造や関係者の意識にまで目を向けることが重要です。打ちこわしを「暴動」として片付けるのではなく、当時の人々がどのような状況に置かれ、どのような論理に基づいて行動したのかを深く考察することで、江戸時代の社会が抱えていた矛盾や、民衆のしたたかな生存戦略、そして抵抗の歴史の一端が見えてくるのです。打ちこわしは、支配・被支配の関係だけでなく、民衆内部の階層化や都市と農村の関係など、当時の社会の複雑な様相を映し出す「裏窓」の一つと言えるでしょう。